世界樹の水やり

この世に関して自分の意見なり解説なりを適当に書いてみる。

日曜日に投稿するつもりが、出来上がった(手を抜いた)のでフライング
つらつらと書き述べただけで、読みにくいとは思いますが、ご勘弁を。
読み直しとか書き直しは紙の媒体に写す際にがんばります。



前回、さらっと究極理論を思いついたように書いたが、実はうそでした。

実際はロボット企画を思いついてから一年ぐらいかかっていた気がする。

記録をまったく取っていないからあやふやだなあ。
ネタ帳を探し出して、考えている話の内容からその頃の思想は分かるとは思うがめんどくさい。


さて、本題は何かというと、その思想の発展についてである。

2つの方向に発展した

・世界の階層構造から垣間見る進化の流れと進むべき道
・自分とは何かを探るうちにたどり着いたこの世の姿の提示

上はよりマクロに、下はよりミクロに進もうとする道である。

最初はマクロ方向楽しい、と思考にふけっていたが、ふとミクロへ舵を切ってみると、またまた楽しくなってマクロに対する見方とかも変わってきた。

考えることは楽しいですよ(しんどかったりもするが)



で、先ずは思いついた順番道理にマクロ方向でのお話。

この思考の結果、この先の人類に求められる「進化」と、その実行の仕方が自分の中ではっきりとしてきた。




”人類”がより発展するためには2つの道がある
そのまま大きくなるか、ばらけて大きくなるか

そのまま大きくなるのは、今60億人ぐらいいる人口をさらに増加させるようなものである。人の数が多くなればなるほど、人類が行使できる力は大きくなる。

ばらけて大きくなるというのは、ある数が集まった集団を作り、その集団の数を増やしていくことだ。

単純な効率からすると、前者のほうが良いだろうが、後者のほうが他のメリットが多いと考えられるので断然おすすめ。実際、われわれもその後者の進化の結果、生まれてきている。

人間は細胞からできており、細胞は分子からできており、分子は原子で…というのは前にも述べた。もし、原子が分子というユニットを取らずに拡大方針を採ったならどうなるだろう。

原子ががんがん集まっていく。そして、結晶を構成し、最後には星ができる。
分子も単に集まった場合は結晶でおわるだろう。
そして、そのゴールはブラックホール。
これはこれですばらしい進化であるし、われわれを構成している原子もその発展なくしては誕生してなかったであろう。

つぎ、細胞
細胞は分子たちが強力なタッグを作ることにより、周りの分子とかからエネルギーを掠め取り、それを用いて、分子を使役し、同じような構造をとらせる事によって勢力を拡大するようになった。(横方向に進化した場合、巨大な単細胞生物になるだろうが、そんなんいるのかな。)

一部の細胞は役割分担を密に行うことにより、さらに大きな組織を作り上げることに成功。これが生物である。
低レベルの生物の場合、なかなか死なない。これは、細胞同士があまり親密な信頼関係で結ばれていないからである。細胞一つになっても独力でも生きられる。
高レベル?なものになると、すぐ死ぬ。互いに深く依存し合っており、一人では生きていけないほど専業化している。一つ一つの細胞で比べた場合、人間の細胞はゾウリムシには勝てないだろう。だが、強力な役割分担の結果、集団としては圧勝できる。

そして、生物
生物が横に進化する場合は、単体ででかくなる。が、細胞の時と同じで、これは当然限度がある。もう一つの道が、種として数を増やすこと。植物の場合は、完全に数を増やすことのみに力を注いでおり、また1個体としても、数千年の時間を過ごすことを可能にした。
動物は移動したり、群れを作ることにより、外乱から身を守ることにした。
そのなかで人間は個体同士で役割を分担することに成功し、他の種より一歩前に進めたのである。この後は、その差が開く一方であり、ついに人類は地球で頂点に立つことができた。

自然淘汰説は物理的視点と同じで生物のがんばりを否定してる気がして嫌いだった。が、物質みな生命と思うと、楽しくなってくる。


で、ここから先が味噌。
人類はこれから先どうやって進化していくべきか?
最初に二つの進み方があるといったが、現在、人類が抱えている大きな問題を考えれば自ずと答えは導き出される。
地球温暖化、食料不足、オゾンホール、etc.…いろいろあるが、致命的と思われるのは、「人類は地球上にしか存在していない」である。
つまり、一つしかない。なくなったら終わりである。

問題を解決させるための方法は至って簡単である。
人類の数を増やせばよい。つまり、スペアを作る。分裂すればよい。
この世に存在する生物たちは、分裂し、数を増やすことでリスク分散を図ってきた。そしてその手法が有効だったからこそ、現在も存在し続けることができている。

人類という存在は大きいものであり、ある程度の数がなくなってしまっても生き続けることができるだろう。だが、逆にこれは無駄が多いと考えることもできる。一つの生体のなかに大量の脳と心臓があるようなものだ。(いや、それだけ数が多いとなれば、それは脳ではなく神経節であり、心臓ではなく脈動する血管というところか)

この現状に気づき、人類がさらに効率化を進めることは可能であろうか?
否、できないだろう。
人類の命運を分ける施設が世界に一つしかない。このような体制は許容できる物ではない。その施設がなくなれば、人類が死滅してしまうからだ。
施設を一つに絞ることで得られるメリットと人類が死滅するリスクはつりあわない。
しかし、人類が複数、互いに大きくは依存していない状態で存在している場合ではどうだろう。人類が死滅するのはずべての人類が保有する施設がなくなったときである。
こうすると人類というユニットの数が増えるほどリスクは軽減し、効率化のメリットは大きくなる。

質問:人類の中に多数の施設が内包されているのと変わらないのでないか?
答え:全然違う


・同一箇所に存在していないため、リスクを大きく軽減できる。

・効率化を推し進めることによって最適な人類規模が決まると考えられるが、その規模が仮に地球一個分であれば、もっとも効率化した場合、ほかに出て行くしかなくなる。

・地球上に人類ユニットが複数いるより、ユニット間の関係が希薄になるため、差異が出やすい→これぞ進化!!

・地球圏に固執している場合、人類の規模は、生活圏の断面積が受け取る太陽からの恵み
によって制限される

結論:地球という揺り篭から飛び出さない限り、人類に未来はない

いきなり話が替わりましたが、これこそが答えです。

今後、人類に求められるロードマップ

リスクを考えながら、人類の効率化を進める

余力が生まれれば、宇宙進出のために振り分け続ける

他惑星への進出を継続して行う。

他惑星でも同様のことを行い、他惑星からも進出を開始する

このサイクルを繰り替えすことで、爆発的な人類ユニットの増加が図られ、かつ多くの差異がユニット間で起こり、人類は大きな進化を遂げることができる。


この流れを考えたとき、面白いことを発見した。

どっしりと地球に根を下ろし資源を大地からくみ上げる。
葉を張り巡らせ、太陽からエネルギーを獲得する。
周りに種を飛ばしまくり、数を増やす。

つまり、これは樹である。
宇宙をめざして人類が結束して目指すべき姿が植物というのは、地上への進出を果たした最初の生物が植物であるという事実からして、当然のことかもしれないが、非常におもしろい。


このブログを立ち上げたとき、この考え、この面白さを伝えたい、と思い「世界樹の水やり」という題名にしたわけだが、一年を経て、やっと掲載することができた。

植物からの先の発展は動物、つまり宇宙を駆け巡る存在となることだが、そこから先はまだ考えていません。
とりあえずアーヴ最高!!ってことで。(地上世界には干渉せず、くみ上げた資源だけ頂戴します)




んで、来週はミクロ方向に向かった思想について述べてみたいと思います。
これもハッキリいってすごいです。自分的にはノーベル賞ものだと勝手に思い込んでいます。
次回「エーテル理論の復活」お楽しみに


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